きつねこの足跡

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グラスホッパー/伊坂幸太郎

あらすじ

元教師の鈴木は妻を殺した男への復讐を果たすため、ある会社に潜入していた。遂にその仇の男と顔を合わせる機会に恵まれたが、鈴木の目の前で仇が何者かに押され車に轢かれてしまう、押し屋と呼ばれている男の仕業らしい。復讐を横取りされた鈴木は何が起きたのかも分からないままその男を追うことになり……。

 

 

登場人物

鈴木:元教師で妻を寺原の息子に轢き殺された。復讐のため<令嬢>という会社に潜入している。

鯨:相手に絶望を与える雰囲気を持ち、超能力のような力で自殺させることができる大男の殺し屋。自分が自殺させた人間の幻覚に悩まされている。

蝉:ナイフを使うまだ若い殺し屋、岩西という男に雇われていて、彼に使われていることをよく思っていない。女子供でも容赦なく殺すことが出来るため、業界でも嫌がられるような仕事をしてきた。

岩西:蝉の雇い主。ジャッククリスピンという男の言葉を引用して話す癖がある。

 

感想

この小説は鈴木、鯨、蝉の視点がそれぞれ移り変わっていき、初めは接点の無かった三人が、同じ目的「押し屋」の為に何の因果か相対することになります。この一見関係のない視点や物語がある目的や場面に収束していくという手法は「アヒルと鴨のコインロッカー」と似た構成にも思えました。

 

一番読んでいて好きだったキャラクターは蝉でした。蝉は女子供も関係なく惨殺できる様な容赦も思慮もない青年です。彼は岩西という男に雇われていて殺し屋をしていました。ここでは二人の関係について書きたいと思います。

 

蝉と岩西の関係は奇妙なものです。蝉は自分の境遇をガブリエルカッソの抑圧という作品の出てくる青年に重ねています。その青年は両親を失っており、ある男にずっとこき使われてていました。そして青年は男から解放されるために殺すことを決めます。そしていざ青年がナイフを持って男の前に立った時に「お前は俺の人形だ」と告げられる。すると、青年は自分の体に人形の紐が纏わりついていることに気が付きます。ずっとずっと全ての出来事が男によって操られていた筋書きであったと男は笑うのでした。青年は初めは笑い飛ばして見せましたが、やがて発狂してしまう、という結末です。

 

蝉は、自分も岩西の操り人形なのではないかと不安になり、絶対にそうではないことを証明し独り立ちするために単独で押し屋を追うことにしました。そしてその宣言を得意気に岩西に聞かせます。「俺は自由だ」と挑発的に語った蝉に帰ってきた答えは意外なものでした。「お前はずっと前から自由だろ」

 

蝉が押し屋を追っている最中、鯨と対決するシーンがありました。なんとか鯨の気をそらすために「岩西を殺してくれよ」と蝉が頼みます。しかし返ってきた答えは既に死んでいるといった旨の言葉でした。蝉は岩西がもう死んでいることに明らかに驚いていました。強がっては見せているものの、動揺していたことは確かです。

そして蝉は自分は映画とは正反対の結末だったと考えます。自分はやっぱり操り人形なんかではなかったではないかと考えます。しかし蝉が鯨を正面から見つめた瞬間に感じたことのない罪悪感が彼の体を蝕み始めました。鯨はそれが岩西を失って今までしてきたことへの罪悪感を抑えていた蓋が外れたせいだと言います。

そんなはずはない、岩西がいなくなっても自分には影響がないと蝉はそう考えます。「俺はあいつと出会う前から存在していたじゃねえか」と言い聞かせて見せますが、そこで岩西と会う前のことを思い出せないという事実を目の当たりにして愕然とする他なかったのでした。そこで絶望し、自殺しようとしてしまうのです。

次の瞬間に蝉が自殺するだろうかという時に鯨は岩西の幻覚に苛まれ始めます。それは偶然か必然か、それでも確かに岩西の登場は蝉の窮地を救ったのでした。

鯨の相手を自殺させる能力は鯨が幻覚を見ていないときにしか発動しないため、岩西が出てきた時点で蝉は正気を取り戻し鯨への反撃を開始しました。

仕方なく、鯨は最終手段として銃で蝉を打ち抜くことで蝉を殺しました。鯨は、銃を撃ったのは十代の頃以来であるかもしれないと思い返していたため、蝉が鯨にとって強敵であったことが伺えます。

 

ここから蝉と岩西の関係をもう少し考えていきたいと思います。

蝉は映画の哀れな青年に自分を重ねていたと同時に恐怖していました。自分は岩西の操り人形でそこから解放されることなどありえないのではないかと。しかしそれは思い込みでした。岩西は蝉のことをずっと自由であると思っていた上に、ずっと高く評価していました。

私には蝉と岩西の関係は親子の様にも見えてきました。岩西は必ず一言多い様な煩い親で、蝉は反抗期真っ只中で独り立ちを望む子供。蝉は岩西といる以前の記憶がない様だったので、小さい頃から長い時間岩西と過ごしてきたことは恐らく事実です。

蝉がガブリエルカッソの作品に強く自分の境遇を重ねたのは、両親を失っていることを示しているのかもしれません。そこから岩西が蝉のことを拾って育ててきたのかもしれません。

蝉は自分のことを映画の青年に強く重ねていながらも、自ら手を下す、つまり岩西を殺すことは考えていなかったように思います。鯨に持ちかけた話は本心ではなく、相手の気をそらすためでした。むしろその時既に岩西が死んでいることを知って強く動揺していました。

このことからも口で言うほどは岩西のことを悪くは思っていないはずで、これまでの態度、は見返してやりたいとか認めさせてやりたいとか、そういった類の欲求が強く表れていたが故の行動だったのかもしれません。

しかし見返すも何も、岩西は蝉のことを高く評価していて、自分よりは優秀だとも認めているほどでした。そういったすれ違いも親子のそれに見えてきてしまいました。

最期の蝉と岩西との会話も今まで通り悪態の応酬みたいなやり取りでしたが、二人ともその会話すらどこかで楽しんでいる様な雰囲気がありました。

この蝉と岩西の関係が私はとても好きだし、蝉と鯨の対決はこの作品の中で描かれた戦闘の中では最も興奮しました。

 

一番好きなシーン

蝉が死ぬ寸前で岩西の亡霊と会話しているシーンが好きです。特に最後のセリフは二人を追って作品を読んできた自分にとっては最高でした。

 

お気に入り度

★★★★★

ハードボイルドな雰囲気の小説は個人的にとても好みです。その上で伊坂幸太郎作品ならではのクライマックスの場面はどの瞬間をとっても目が離せませんでした。欲を言えば、鯨の過去や最後何を考えていたのかを描写する場面が欲しかったなと思いました。けれど文句なしで面白いです。

 

あとがき

そういえば、タイトル回収のお話をしていなかったので少し書きます。

ある男はバッタは増えすぎて密集した所で育つと、群集相と呼ばれる黒く狂暴なタイプに育つ。男はこの性質が人間にも当てはまると考える。つまり都会で密集して育った人間はどす黒く狂暴な種類の人間に育ってしまう。だから人間の数が減ればそんな変化はせず穏やかに暮らせるだろうという主張です。

この一連の会話を取って「グラスホッパー」という題名なのだと思います。都会で育った黒い人間達の話という感じでしょうか。

 

これは一見厳しくて冷たい意見ですが、逆に考えると男の希望的観測も含んでいます。

人を減らせば、穏やかに平和な世界になるという希望です。

確かに人が少なくなれば、争いや様々な問題は減るでしょう。けれど無くなりはしないことを私たち歴史や経験から知っています。例えば田舎に住んでいた経験から言わせてもらうと、田舎にも黒い人間が多くいて、一概に穏やかで平和であるとは言えなかったです。

それでも男は増えすぎた人を減らしていけば、穏やかな世界になると縋っているのかもしれません。バッタがきっとそうであるように。